自分の死について考えてみた

大腸内視鏡検査シリーズの1回目はコチラ
前回はコチラ

大腸がんの精密検査を受ける前に必要な事前来院をする覚悟は出来て、個人のクリニックに向かうことになるのですが・・・。
その前に通知書が来たときに考えた「自分が死ぬこと」について書いておこうと思います。

最初に通知書を読んだときは、かなりのショックを受けました。
便に血が混じっている=大腸がんの可能性が高いと思ったから。
「ああ・・・俺もついに来る時がきたか」ぐらいに真剣に考えて、けっこうな放心状態で落ち込みました。

でも・・・・・・。
よくよく考えてみると、俺って今死んでもさほど問題はないことにも気付きました。
これは自虐でもなんでもありません。
なぜなら今の俺はまったく社会と繋がっていないから。
仮に死んだところでバイト先に迷惑をかけるとかもないのです。
この事実に気付いたとき、不思議と気持ちがスッと落ち着きました。

また皆さまもご存じの通り、俺は独身。
嫁や子どもがいれば、いろんな未練のようなものがあったと思います。
子どもが小学生~中学生とかで、まだまだお金のかかるような年齢なら、そりゃかなり辛いと思います。
でもそういうのが一切ないわけです。
誰かに何かを引き継ぎたいとかそういうのが完全にゼロ。

そしてこの先の未来。
20年~30年先に生きていたとしても、正直、厳しいなんてもんじゃない地獄が待っている気がします。
今の時点で、日本もアホな俺が「ヤバい」と思うほどぐらついてきましたから。
年金とかもどうなるのか分からないことを考えると、とても俺のような人間がまともに生活できる可能性はかなり低いと思います。
そういうのを考えると、俺の場合は今死んだほうが幸せなような気がしないでもありません。
自分でも言っていて悲しいですが・・・まぁまんざら外れていないと思います。
唯一の気がかりは母と弟のことぐらいです。

順番的なことで言えば、母が亡くなった後に俺が弟の面倒を見ながら生きるしかないので、心の残りではあります。
ただ・・・父が亡くなってからなんですが、俺の中で「がん」に対する意識が変わったというか、死生観に大きな変化が出ました。
まだまだこの先も生きると思っていた父が、ある日余命宣告を受けて、ほぼその通りに亡くなる。
「がん」という病気の恐ろしさを、生まれてはじめて身を以て分かった瞬間でした。
そしてそれ以降、ニュースなどでがんで亡くなる方のことが、非常に印象に残るようになりました。
以前は特定の人を除いては、さほど気にならなかったのですが・・・。

ここ数年で言えば、例えば俺と同年代の山本KIDさんががんで亡くなったり、漫画家のさくらももこさんが亡くなったりと・・・。
またあるとき。
日本人メジャーリーガーのお父さんががんで亡くなったというのを聞いた時、俺はこんなことを思いました。
「ああ・・・かなりお金を持っているような人でも、どうしようもないことがあるんだ」
と。
「がん」というのはお金があっても、絶対に助けられるようなものではない。
ここ数ヶ月の間では、映画「ブラックパンサー」の主人公をやっていた俳優さんが大腸がんで亡くなったということを知り、この思いは強くなりました。
いや、もう本当にどうにもならない状況になれば、問答無用で亡くなってしまうのが「がん」なんだなと。

だからもし俺が大腸がんであった場合、わりとすんなりと死を受け入れるしかないという結論に達しました。
これは父が亡くなる前の姿にも影響されていると思います。
家族に「残り半年」という余命宣告を告げた後、父はいつも通りに過ごして、最後も極力家族に迷惑をかけないように亡くなりました。
ジタバタせずに運命を受け入れて、静かに人生を終える。
そういうのを見ていると、俺もがんであったとしても、死を受け入れるしかないと思いました。
あ、助かるなら治療とか手術とかはもちろん受けますよ。
ただ、それに何百万もかかるようだったら、俺はもう治療を諦めます。
そういうので金を使うなら、後は母や弟が生きていくために使うべきだと思いますから。
嫁とか子どもがいない40代半ばの男です。
未来に希望が持てないことなども含めば、「何がなんでも生きなきゃならん」という気にはなれませんでした。

とはいえ、すぐにここまで達観したわけではないです。
むろん、自分が死ぬことを考えれば悲しくもなりました。
社会とまったく繋がっておらず、俺が死んでも困る人は家族以外ではいないため、笑う方もいるかもしれません。
ただですね、そんな俺でも死ぬとなれば、「もう母や弟の役に立つこともできない」わけですから、どうしても悲しくなりますし、心残りではあります。

 

でも、色々と突き詰めて考えていくと、「大腸がんだったらまぁこの運命を受け入れるしかないよな」となりました。
どうしようもないもんはどうしようもない。
だからもし大腸がんだったら、余命は終活につぎ込み、残された母や弟の迷惑にならないような形にしようと覚悟を来ました。
余命の希望としては、1年もあれば充分でしょうか。
それぐらいあれば、愚鈍な俺でも身辺整理は出来ると思うし、さすがにこれは何を差し置いてもやらないといけないでしょうね。
やることやって片付けたら、後は1人でそのときが来るまで家でゲームでもやりながら過ごしたいと思います。

あ、ちなみに友人たちのことは少し気がかりです。
ただ、会いたいとまでは思いません。
これは弱っている姿を見せたくないということもあるし、どうしたってこの精神状態では最後に余計な醜態を晒しそうですし。
それならこのままでお別れしたいなと。
んで、死んだ後はしばらくそれを伏せて、時期が来たら友人たちには知らせてほしいですね。
もし都合がついたら、線香の一本でもあげにきてくれれば幸い。
まぁ誰も来ないと思いますが。
不義理を重ねてそういう生き方をしてきたからこそ、その覚悟はすでにあります。

とまぁ、これらのことを長々と真剣に考えてしまいました。
そのためしばらくは憂鬱な気分で過ごす日々が続いたわけですが・・・。
とりあえず個人のクリニックに行く段取りをきめ、向かった日は通知書が来てから2週間後のことでした。

次回につづく

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