深く落ち込んだときに思い出す言葉

一時期。
母が亡くなった場合のことを考えてしまし、かなり滅入る事が度々ありました。
糖尿病持ちの俺の方が先に死ぬ可能性も充分にありますが、順当に行けば母の方が先。
いつどうなるかなんてお互いに分かりません。
事故とかの可能性もゼロではないですから。

と、それらのことを考えては深く暗い感情に支配されることが続いていたのですが・・・。
あるとき、たまたま見たテレビで一休宗純さんのことをやっていました。
そして番組の最後で、一休さんのこんな言葉を聞きました。

「心配するな、大丈夫、なんとかなる」

これ、「大丈夫、心配するな、なんとかなる」のパターンもあるようですが、思い返すと「心配するな」の方が先だったように思ったので、こちらにしました。

この一言を聞いた俺。
まるで自分に言われたようで、すごく心に刺さりました。
あ、誤解の無いように言っておきますが、「今後の俺の人生がなんとなる」的な甘い方向で捉えたわけではありません。
そうではなくて、この先何かあったり自分が突然死したとしても、まぁ誰かがなんとかしてくれるということに気付きました。
親戚なのか公共機関なのかは分かりませんが。
つまりどういう結末になるかは分からないけど、最終的には何らかの形で決着は付くということに気付いたのです。

そんなことを考えると、だいぶ気持ちは楽になりました。
「現実逃避」と言われるかもしれませんが、この先とんでもないことが起きて母が亡くなり俺が死んだりしたとしても、その後はどこかの誰かが何とかしてくれる。
むろん、そうなったときに極力迷惑をかけないように、今後も自分で打てそうな手は打つつもりです。

きょうこんな記事を書いたのは、俺と同じような境遇で悩んでいる人がいれば、これを知って欲しかったから。
解決策にはなっていないですが、どういう形であれ必ず終わりはきます。
それが分かっているだけでも、ほんの少し気持ちが楽になるのではないでしょうか。
今でもこの先のことを考えて不安になる日はありますが、もうどうしようもないことが起きたときはそのときはそのとき。
自分で出来ることがあればやりますし、分からないことがあれば出来る人に頼む。
それ以上のことはなるようにしかならない。
世の中、多くの人が様々な悩みを抱えて生きているとは思います。
でもこの一休宗純の一言が心の片隅にでもあれば、少しは楽になると思います。
深く考え込みすぎて鬱になるよりは、どこかで割り切るのも有りだと俺は考えます。

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