まとめて百日祭を執り行ったところ・・・

 父の火葬が終わった後は、親戚一同がマイクロバスに乗り込みセレモニーホールに戻り、百日祭が始まりました。
告別式が終わった後はこういう行事はないと思っていたので、ちょっとビックリしましたが、母に聞くとこの機会にまとめてやっておくとのこと。
確かに日を改めてまた年寄り連中の親戚が集まってやるというのも、かなり大変だからこれには納得。
百日祭では清祓いの儀を行い、祝詞奏上、玉串奉奠、会食という流れで行われました。
会食には10人ほどが参加。

 

 

 そして・・・。
この会食が終わった後の俺の予定は、弟の病院に行っての付き添いでした。
会食が始まったのが14時。
これまでの通夜振る舞いの流れなんかを見る限りでは、かかる時間は1時間前後です。
そのため、このときも、「15時ぐらいに終われば、余裕で夕方までには病院に行けそうだな・・・」と考えていたのですが・・・。

 なんとこの会食のとき。
もう全てが行事(仕事)が終わったこともあったのか、神主さんのお酒が進み舌も回り絶好調なトークが展開され・・・終わるまで1時間の予定だったのが1時間40分ほどに延長することに。
これには後で弟の病院に向かう際、親戚の叔父さんに送ってもらったのですが、苦言を呈されました。
「ああいうときは、『すみません、ちょっとこの辺で・・・』とか言って切り上げるもんだ」と。

 実際、このときは叔父さんたちも遠方から来ていて、暗くなる前に帰りたい(視力が衰えているため夜道の運転は怖い)と言う気持ちがあったようで、この言い分はよく分かります。
しかし後で母に聞くと・・・そういうことをするのは失礼にあたるとのこと。
そのため母もこの後の予定が詰まっていることは分かっていつつも、神主さんが自主的に帰るタイミングを待っていたようです。
母は今後も神主さんとの付き合いもあるから、迂闊に関係を悪化させるわけにもいかないと想ったのでしょうね。
なんとも難しいものだと思いましたが、予想外の延長により、この後セレモニーホールを出るときはもうバタバタでかなり大変な想いをしました。
親戚一同で飲むために、この数日間で買ったペットボトルなどの処理にも本当に困りましたね。
捨てるのももったいないけど、いろいろな荷物も増えているため持って帰るのもしんどいのです。
つくづく、「不安だからって多めに買うもんじゃねえな」と後悔しました(笑。
最終的には残った人間で何とか割り振って処理しましたが・・・。
セレモニーホール側にもこの後の予定があり、部屋の清掃などもあるから急いで引き上げ無ければいけない状況というのは、想像以上に大変でした。

 と、そんな感じでバタバタしたものの、とりあえず父の葬式に関することが全て終わりました。
この日の後の予定は、母が自宅で遺影を飾る準備等などで、花屋さんやセレモニーホールの担当者と話し合い。
そして自分は弟の病院に翌日の朝まで付き添い。
父が亡くなってからジェットコースターのような展開でバタバタして、このときには疲労困憊でプルプルしていましたが、まずは無事に葬式が終わり、ここでようやく少しホッとしたのを覚えています。

次回につづく

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