お互いその立場になってみないと分からないものなので・・・

きのうの記事を書いた後、この騒動のことに関してあれこれ見ていたら、大半は伊是名さんに対して批判的な意見でしたが、中には伊是名さんを支持するという声もそれなりに見ました。
同じような車椅子に乗っている方などから、「よく声を上げてくれました!伊是名さんを支持します」とか。

それを俺が見て思ったのは、こういう障害を持たれた人の実際の苦労は、まず本人でなければ分からないのだろうなということ。
ず~っとそういう状態で数十年生活をしてきて、様々な場面で苦労があったのだと思います。
健常者からすればなんてことのないことでも、車椅子に乗っている方からすればとてつもなく大変なこともあったのだろうと。
そしてこればかりはそれを経験した本人でなければ、その大変さは分からないものだと思います。
いくら想像力を働かせてみたところで、実際に味わって見なければどうしたって分かるようなものじゃないと。

小さい話になりますが、俺は若い頃、自分の身体がおかしくなるなんてことは考えたことはありませんでした。
ずっと自分の足で普通に歩け続けると思っていました。

しかしですよ。
最近なんて特に変なことをしたわけでもないのに、ひざに痛みを感じたりします。
今年に入ってから、ひざに痛みを感じる日が出てきたのです。
今のところは歩けなくなるほどの痛みとかではないので、様子を見ているのですが・・・。
若い頃には微塵も想像していなかったひざの痛み。
こういう不調が実際に自分の身体に起こると、この先、俺もいつ杖をついたり車椅子に乗るような生活を送るか分からないと思うようになりました。
そういう風になる要因は身体の不調に限らず、車やバイクで事故に遭ったりしても有り得ますから。
だから今はそういう障害があることについて、「他人事じゃない」と思っています。
自分もいつそうなるか分からないと。

で、たぶんそういう風になって生活をしたときに、様々な場面で大変なことを実感するのだと思います。
逆に言えば、そうならない限りはその大変さを真に理解することはないと思います。
いくら想像力を働かせたところで。

とまぁ、そんなことを思うと・・・。
やはり人間て当事者になってみないと、まず分からないものなんですよ。
障害者の方がこういう形で声を上げても、その苦労や大変さを健常者へ伝えられるのは100分の1もないと思います。
だからこそ、今回のようなケースの場合は、「こうであるべき」という部分を強くあげるよりも、障害者や健常者ともに、お互いに少しずつ歩み寄るしかないと思いました。
例えば今回のケースにしても、伊是名さんが事前に駅に問い合わせていたら、また話はだいぶ変わったと思うのですよ。
おそらく状況を考える限りでは、事前に問い合わせていたら「うちの駅では対応できないため別な駅でお願いします」といった代替案を言われていたと思います。
伊是名さんもこういう経験が豊富なようですから、それは想定済みだったかと。
そのため、あえて事前連絡はせずにいったのかもしれません。
しかし、それではやはりダメなんですよ。
昨日も書いたように、常に人手が余っているわけでもないし、その場で対応が出来るとは限らないので。
なので、伊是名さんも事前連絡するべきだったと思います。

とまぁこんな「お互いに歩み寄ろう」なんて月並みなことを書くと、伊是名さんを支持する人たちは
「いやいや、そういうことじゃないんだって」
とツッコミを入れられるかもしれません。
しかしですよ。
今回の伊是名さんのような声の上げ方では、健常者たちの共感はまず得られないと断言します。
健常者で障害者が実際に味わっている苦労を理解できるのは、ご家族とかを除いてはほとんどいないと思うから。
そのため、こういう炎上に繋がったということを伊是名さんを支持する人たちも分かってもらって、今後声を上げてくれることを願います。
このやり方では単に敵を増やすだけで、ますます障害者の方が生活しづらい世の中になってしまうと思いますから。

 

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