“借り”というのは重いから作りたくないと知る

(*以前の記事を引っ越しました)

数日前、ゲームの合間に何となくテレビをつけると、NHKで「ごごナマ」という番組をやっていました。
いつもこの時間帯は他の番組を見ることが多いのでチャンネルを変えようとすると、画面に表示されていたテロップは
「格差が開いた友達とどう付き合う」。
おもいっきり自分にジャストフィットする話題にひかれて、そのまま番組を見ることに(笑。

番組内では友達付き合いに関していろいろな事が語られていました。
おごりに関することや、友達に対しての距離感など。
そういった話題の中で自分がピンときたのは、この日登場していた三遊亭円楽さんが言った一言。
「“借り”と感じると人は離れていく」。
これを聞いた瞬間、ここ数年ある友人に感じていた違和感の正体が分かりました。

というのも、その友人からは無職時代によくこんな言葉をかけられたりしたのです
「なにかあったら協力するから」
「困ったことがあればいつでも言えよ」
こんな自分に対して非常にありがたい言葉だとは思います。
でも、それを言われる度に自分の心の中にはモヤモヤが。
そして最終的に思ったことはこれでした。
「ほんとうに困ったときはこっちからお願いするから」。

正直、無職である自分を何とか助けようとしている友人に対して失礼な言葉かもしれません。
でも自分の場合、こういうことを言われても「はい、じゃあお願いします」という気分にはなりませんでした。
どんなに落ちぶれたとしても、やはり友達に対してはプライドがあったから。
30代半ばということもあり、多少なりとも「自分のことは自分で何とかする」という気持ちが強かったのです。
また、それまで一緒に遊んでいた友達に対して、急に仕事絡みのことで「なんとかしてくれないか」なんて泣き付くのは、自分のポリシーからは反することでした。

もちろん、本当にどうしようもない状況であれば、そんなことも言っていられないことは分かっています。
社会に対して無力であるなら、ツテを頼ることも必要です。
ただ、自分には実家があり親がいて・・・まだ生活出来るだけの余裕がありました。
だからまだ「友達に助けを乞う」状態ではないと考えていました。
そもそも友人たちは友人たちで、仕事や家庭のことで自分よりもはるかに忙しいことは分かりきっていましたから。
それを考えると、気軽に「助けてくれ」なんて言えなかったのですよね。

無職時代の当時。
こういう考えをする自分に対して、どこか嫌悪感を抱いてもいました。
「もっと友達に素直に助けてもらうべきなのかな?」と。
でも先日、三遊亭円楽さんが言った「借りと感じると人は離れていく」という言葉。
これを聞いた瞬間、自分が友達に頼らなかった理由の一つが分かりました。
それは助けを乞うてしまえば、これまでの対等な関係が崩壊し、のちのち負い目になることが心の奥底では分かっていたのだと思います。
友達ゆえに、「借り」は決して作りたくなかったというわけですね。

こういうことを言うと、友人たちからは失笑を買うかもしれません。
「そんなの気にしているのお前だけだぞ」とか。
でも友人との間に格差が開いてしまった今、それだけ「借り」というのは大きいと考えます。
貸している方は何気ないつもりでも、借りている方には大きな負い目になるのが「借り」なんです。
以前にも書きましたが、例を挙げると友人に「飲みの席でずっとおごられ続ける」というのも自分はイヤです。
そこには金に卑しい自分でも「やった!飲み代浮いたラッキー」とは割り切れない気持ちになるのです。
これが目上の方や上司とかなら別ですが・・・。
長い付き合いの友達となると、ずっとおごられて嬉しいとは思えないのですよね。
家庭もちの場合は、「俺なんかより子どもに使ってくれ」という気持ちにもなりますし。

このとき見た番組では他にもいろいろと語られていましたが、最終的に言っていたことはこんな感じのことでした。
「合わなくなってしまったら無理に付き合う必要はない」。
無理してまで付き合ったら、心が病むから・・・と。
三遊亭円楽さんのような方が言っているのを聞くと、自分がいま友人との間に距離を置いているのもまんざら間違いではないと確信しました。
むろん、それに伴う寂しさみたいなものもありますが・・・。
でもそれを受け入れて自分は生きていこうと思います。

 

こんな感じで友人に金を借りるようになったら切腹しようと思います(笑。

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