兵庫県知事の辞職、4会派が合同で要求へ 不信任の成立にも迫る規模
ここ数週間。
テレビで斎藤知事が会見したりインタビューに答える様子を見ていますが、感心してしまうのは表情を何一つ変えないこと。
元県民局長の告発を公益通報扱いにしなかったことが有識者たちから「問題があった」と指摘されているのに、いまだに「手続きに瑕疵はない」と言い張るあの姿勢。
これまでの人生でエリートコースを歩み続けた人間というのは、俺のような人間とは違ってどれだけ追い込まれても自信があるようで、そこは感心してしまいます。
しかしまぁ、さすがに人が亡くなっていますからね。
それを考慮したら、どこかで真剣に考えなきゃいけないと思うのですよ。
「自分の行動や判断に間違いかなかったか?」を。
でも百条委員会での答弁を様子を見る限りでは、それは一切ない模様。
あんだけ淡々と答えている姿にはちょっと恐怖すら覚えます。
というか、これまでの斎藤知事の行動や言動などを聞いていると、まぁよほど好かれていなかったんだなぁと思いますね。
職員たちにも相当嫌われていたように感じます。
そしてこれが「仕事上で厳しくしていたから嫌われていた」とかではなく、その普段の振る舞いがダメだったように思います。
公益通報の問題に比べれば今はおねだりの問題はたいした事ではなくなっていますが、普段からそういうおねだりをしていなければ、周りからの印象は大きく変わっていたと思うのですよ。
部下に対して厳しいけど、自分の仕事はきっちりやっていて、おねだりなんかもしないとかであったらたぶん告発なんかもされなかったんじゃないでしょうか。
しかし他人には厳しく己には甘い。
その部分をズバッと突かれたからブチギレて告発者捜しをする。
俺も他人には厳しく己に非常に甘い人間なので、この部分はよく分かります(笑。
特に斎藤知事の場合、先に述べたようにこれまでエリートコースを歩んできた人間。
それだけに相当なプライドがあったから、余計にとんでもない怒りに駆られたのだと思います。
もう元県民局長のことを「なにがなんでも潰す」って感じだったのでしょうね。
それと今回思ったのは、こういう人間のために自死をもって抗議しても無駄なんだなということ。
これまで仕事上で関わってきた人間が亡くなったのであれば普通は何かしら考えるはず。
でもこういう人間にとっては何ともないようです。
俺は斎藤知事を見ているとクソ社長を思い出してしまいます。
本当にこういう人間のために死ななくてよかったなと。
死んだところで何一つ相手に響くことがないようなので・・・。
さすがにここまできたら辞職では避けられないであろう斎藤知事。
これまで順風満帆でやってきたのでしょうが、これからの人生はなかなかに大変でしょうね。
人生、勝ち続けてきても一度の失敗でここまで転落することを思うと、人生という名のレースを無事に完走するのは難しいものだと思います。
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