3日前の記事→「孤独を選び続けた果て」
これに関してブログを通じてメールでやりとりしている方から
「早い段階で報告してしまうと色々と気を使わせてしまうので、
四十九日が終わってからお母様が報告に来てくださったのかな」
というコメントを頂きました。
これは俺にはまったくなかった発想。
言われてみれば確かに、四十九日が終わって落ち着いてから伝えるという方が、
家族としては気持ちの面などでも含めて何かと都合がいいのかもしれません。
実際、今回の件で知ったのは、友人の母は町内会にも知らせなかったという事。
以前は近所で誰かが亡くなればすぐに回覧板で訃報が回ってきたような記憶があるのですが、
いまはこういう形で知らせないこともあるようです。
時代と共にこういうのも変わっていくものなのですね。
とまぁ、こういう話を聞くと2ヶ月経ってから訃報を伝えられた事に納得できるようになりました。
そういう対応が一般的なのかもしれないと。
しかし・・・。
俺はやはり友人からメールでいいから直接教えてもらいたかったのですよね。
四十九日が終わってからはもちろんの事、友人たちの間でもっとも連絡が遅くても構いません。
とにかく一言でもいいからメールでの連絡が欲しかった。
自分の父が亡くなったときに急いで伝えた事もあったため、どうしてもそのように考えてしまいます。
友人の母から伝えられるのと友人から伝えられるのでは、俺の中ではどうしても寂しさのようなものがあるのです。
直接と間接の差は大きいですね。
メールで一言送るぐらいならそこまで無理な事でもないと思うから。
ま、そういう対応をする価値のない人間ってことなんでしょうね。
それに対してはその通りなので何も言えません(苦笑。
とまぁそんな事を思うわけですが、「孤独を選び続けた果て」でも書いたように普段から連絡を取り合っているわけでもなく、真っ当な生き方もしていないのが俺です。
もはや友人でもなく知り合いでもなく人の形をした何かのようなのが俺なんでしょう(笑。
そのように思えばショックも減りますし、今回の友人の対応で俺もスパッと割り切っていいんだと思いました。
それを知れたことが今回の一件では良かったです。
今後はそこら辺で葛藤することもなさそうです。
よりいっそう孤独の道を歩んでいこうと思います。
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