「ちょっと出かけてきます」というメモが残されていたときは・・・

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いつのころからかは忘れましたが、母が外出するときは玄関付近に「〇〇に行ってきます」というメモを残してもらうようにしています。
まぁ今はスマホでいくらでもすぐに連絡をつけようと思えばできるのでしょうが、それよりもこういうシンプルなやり方が我が家には合っています。
近場にしろと遠出にしろ、どこに行っているか分かるのと分からないのとは精神的な負担がまるで違いますからけっこう重要です。

と、そんな外出のメモですが、あるとき、
「ちょっと出かけてきます」
という内容のメモが。
これを最初に見たとき、
「まぁ数キロの近い場所にふらっと出かけたのだろう」
と思って特に深くは考えませんでした。
母はどこかに出かけても大抵夕飯前までには戻ってきますし。

 

 

で、そんなメモが残されていて母が帰ってきたあるとき、何気なく、
「どこに行っていたの?」
と聞いてしまったことがあります。

すると母はばつが悪いとまではいきませんが、少し口を重そうに、
「近所に住んでいる親戚の〇〇さんのところに行ってきた」
と教えてくれたのですよ。
んで、そこは3世帯家族なのですが、3人いる息子たちは全員結婚していまして幼い子どもたちもいます。
つまり「どこに行ってきた」と聞いてしまうと、「みんな元気だった?」などの話になってしまうわけで、それに伴い子どもたちの話も出てきます。
こういう話を聞いたとき、俺のようなろくでなしの親不孝ものはもうどうしようもない現実を分からせられるといいますか・・・。
俺が結婚してなく子どもがいないため、その親戚の小さい子ども達を孫のように可愛がるために会いにいったのだとすぐに気づきました。
これが分かってしまったとき、母と俺の間に流れる微妙な空気。
こうなることが分かっていたからこそ、母は行き先を詳細にかかなかったのだと。
そこら辺を察することができずにあえて行き先を聞いてしまうところが、やはり俺は無能だなと。

そんなわけでそれ以降は「ちょっと出かけてきます」のメモがあった場合は母が帰ってきても何も聞きません。
聞いたところで俺にとっては耳が痛い幸せな子ども達のエピソードを聞くはめになるので・・・。
こんな事があると自分がどれだけ親不孝者か思い知らされますが、まぁこれぐらいは受け入れないといけない心の痛みのようなものなんでしょうね。
家族を作ることをせず自由気ままに親に寄生して生きているクズですから・・・。
生かされている現実に感謝しつつ、己の不甲斐なさを実感させられるこの出来事。
これからもこの事実を背負っていきていこうと思います。

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