振り返るとあの人は紛れもなく恩人だった

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俺が18歳のときに自動車学校に車の免許を取りに行って失敗したことは昔に書いたので、覚えている方もいるかもしれません。

でまぁこれが思い返すと、自分の中で取り返しのつかないほどのえぐい失敗体験だったわけですよ。
両親を含め世間の多くの人間が当たり前のように車の免許を持っているだけに、俺は「誰でも取れるもの」だと思い込んでいました。
だからそれをしくじったっていうのはとんでもなく凹みました。
人生における2度目ぐらいの絶望ですかね。
1度目の絶望は高校受験に失敗しかけたときです(苦笑。

それと俺の紹介で同じ自動車学校に入った友人は、突発的なアクシデントが重なって卒検に2回落ちるなど苦労していましたが、きちんと期間内に取り切ったのです。
この事実により、自分があまりにも情けない人間だということを認めざるを得ませんでした。

教習所に通うきっかけになったのは、家にかかってきた勧誘の電話のタイミングが高校卒業間際で、俺がちょうど免許を取りに行こうと思っていたのと一致した事。
簡単に乗せられ、深く考えることもなく家から送迎バスで通わなければいけない教習所にしました。
が、この時点でこれが大きな失敗でした。
後に父から
「お前、家から自転車で通える教習所あるんだからそっちに行くべきだろ」
と何回も言われました。
最初の時点で選択が間違っているんだと。
今なら俺もその意味が分かります(苦笑。

でもまぁ、当時はそんなことにも気づかず・・・。
で、この勧誘してきたおばちゃん教官が最初は教習所内で顔を合わせると
「がんばってねぇ」
とか言ってきたり、あるときは他の生徒と一緒に家まで送ってくれたりしたのですね。
そういう点では親切でした。

でも己の能力不足、覚悟が足りてない事によりだんだんと教習所通いが苦痛になってきて足が遠のいていった後、おばちゃん教官から特にフォローはありませんでした。
「もっと来た方がいいよ」とか「困っていることがあるなら力になるよ」とか。
まぁこれは当然というか、一人の生徒にかまってばかりもいられませんから仕方のない事で、それについて恨みはありません。
全ては自分のせい。
「なにがなんでも免許を取る」っていう覚悟が足りていなかったことが本質で失敗の原因です。

ただですね、この後更に心を削られる出来事があったのですよ。
というのも、このおばちゃん教官、教習期限が切れて何もかも終わった後、また家に電話をかけてきたのですよね・・・・・・。
おそらくまた勧誘すればおばちゃん教官にいくらかのお金が入ったのだとは思いますが、そのときに言われたのは、
「前回のときはあまり力になってあげられなかったからねぇ」
で、更に
「今度はなにかあれば相談に乗るよ」
的なこと言ってきたのですよ。

 

 

それを聞いた俺はドン引きしましたね。
教習期限が切れてから何を言ってんだと。
それを言うなら教習期限内にフォローしてくれよと。

と、この時点で明らかに金目当ての匂いを感じたので、「ああ、はい、もしまたなにかあれば・・・」って感じで電話を切りました。
当時18歳。
なんか人間の汚い部分を知りましたね。
親に出してもらったとはいえ15万円をドブに捨ててしまった俺に対して、また声をかけてくるそのずうずうしさというのが。
金のためなら失意のどん底にある人間すら再び利用しようとする。
この件は俺の中で衝撃でした。
すっかり疑い深くなってしまった人間不信の原点かもしれません(笑。

んでまぁ、自分の能力のなさやだらしなさで免許を取れなかったことを後悔し続けます。
やはりですねぇ、なんか学業やら仕事やらの他の理由があってダメだったとかならまだ分からなくもないですが、
俺はきちんとやれば絶対に免許を取れるような環境にいましたから。
この事実がまた俺を何年も苦しめました。

と、そんな苦悩を繰り返していた折、その当時バイトしていたコンビニで一人の店長と出会います。
S店長(仮名)としておきます。

このS店長にはバイトしている間はメシを奢ってもらったりして色々とよくしてもらいました。
で、あるときなんですが、免許の話になったわけですよ。
当時は俺のような若者の場合は免許を取るのが当たり前みたいなもんだったので。
そこで俺は正直に、「いやぁ、アレコレあってイヤになって途中で行かなくなってしまって・・・」という事を話しました。
するとS店長は、
「あ~分かるよ、俺も一度自動車学校を途中で辞めているから」
と言ってきたのです。
「一度足が遠のくと通うのがイヤになるんだよなぁ」と気持ちを分かってくれました。
これが当時の俺にとってはめちゃくちゃ救いになったのですね。
S店長に会うまでは失敗したことを、
「こんな愚かな事をやらかすのは俺だけだ」
とずっと凹んでいましたから・・・。
「俺だけじゃなかったんだ」と分かった事で苦しみが和らいだのです。

そしてこの後ですよ。
S店長が、
「合宿免許なら絶対に取れる!間違いなく誰でも取れる!!」
というのを強く教えてくれまして・・・。
で、おれは諸事情によりそのS店長がいるコンビニを辞めた後、合宿免許で山形に行くわけです。
そしたら案の定免許が取れたわけです。
前にも書きましたが、合宿免許っていうのは、技能教習や学科教習以外の時間はやる事がありません。
だからたっぷり教本を読み込んだり、イメージトレーニングしたりする時間も山ほどあるのです。
それとこっちは一刻も早く家に帰りたいから必死になります(笑。
教習所側が効率よく技能や学科の予定を組んでくれるからその通りにやるだけ。
仮免の学科試験を何度受けても受からないとか運転操作がまったく出来ない等を除けば、合宿免許はほぼ間違いなく免許を取れるシステムだと思います
あ、他にも2~3週間は一人でも宿舎で耐えられる精神力があれば。

というか1度しくじっている事もあってか、「これだけは絶対に失敗できない」という覚悟で臨んで免許を取った後に、前回の自動車学校に通っていた自分がいかにダメだったか骨の髄から思い知りました。
あの覚悟のなさと真剣味のなさなら取れるわけないよなと。
無能なくせにまったく努力をしなかったわけですから。
そりゃ多くの人が取れるようなものでも取れないわけです。

で、先日ふと思ったのですよ。
俺はS店長に会ってなかったら免許を取れてなかったかもしれないなと。
というのも、俺の免許を取るのを失敗したなんて話は、相手によっては、
「だめじゃん、ちゃんと行かないと」

「途中でやめるなんてあり得ないよ」
とかの返しをされるようなものだと思うのですよ。
それこそ鼻で笑われたり、失笑されたりするような。

しかしそれが同じ失敗をした事のあるS店長が相手だったことにより、
その失敗の後にどうしたらいいのかの解決策を教えてもらえたわけです。
本当に繰り返し強調して何度も言われましたからね。
「絶対に取れる!間違いなく誰でも取れる!!」
と(笑。
その言葉を信じた結果、俺は免許を取ることが出来たわけです。
この強い確信のような後押しがなかったら、俺はずっと1度目の失敗を引きずって、
その後も免許を取りに行かないままこの歳になっていた可能性は十二分にありますね。

なのでいま思うのは、このS店長との出会いがなかったら免許が取れるようなことはなかったのかなぁと。
免許取得時はそのS店長のありがたさにそこまで気づいていませんでしたが、いまとなっては間違いなく俺の人生を良くしてくれた恩人なのだと思うようになりました。
その点では俺は本当に持っていたなと。

こういう出会い一つで人生が変わる。
いまごろS店長がどこでなにをしているかは分かりませんが、幸せに暮らしていることを願うばかりです。

 

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