ずうずうしいけど堂々と生きていきます

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きのう。
家の近くにある指定された投票所で投票してきました。
13時30分ごろ、一人で。

選挙当日に投票所に行くのは数年・・・10年・・・もしかしたらもっとかもしれないほどぶり。
期日前投票で区役所に行く手間と、当日に投票所に行く手間を比べたら圧倒的に家の近くにある投票所に行くほうが楽です。
区役所の場合はバイクか車でないとかなりキツい。
それと階段の上り下りとかその他諸々もしんどかったりします(俺はエレベーターに乗るのが好きじゃありません)。

なので、きのう行く前に、
「なんでそこまでして区役所に行ってたんだろ?」
と考え込んだのですが・・・。
答えはすぐに出ました。
「家族連れを見たり近所の人に会ったりするのがしんどかったからだ」と。

秋田で正社員として無残に散り(苦笑、仙台に戻ってきたのは15年前。
15年前と行ったら俺は当時30代ちょうど半ば。
自分でも精神的にズタズタだということがよく分かっていないような状態でした。
実際は「使いものにならない人」にすでになっていたのですが、そこに気づかず「まだ人生はこれから」という感覚を持っていました。
人並みに仕事して結婚して・・・等。

それとこの頃は人としてのプライドなようなものもありました。
そのため、このあたりで選挙当日に投票に行くときは朝7時前に行ったりしていました。
投票所1番乗りを目指していたわけでもなく、近所の人とかに会いたくないから(笑。

で、そんな感じでやっていたあるときの選挙当日。
今までより遅めの7時40分ごろに投票に行ったことがあります。
「まぁ、これぐらいでも誰にも会わないだろ」
と。

そしたらですねぇ・・・。
投票して帰る際、顔見知りの同級生の父親とその孫が歩いているのを目撃。
本当に紙一重のタイミングで遭遇しかけて、
「うお!マジか」と死ぬほど動揺したのです。
幸い、このときは一切気づかれませんでした。

向こうからしたら顔を合わせても「ああ、どうも~」って感じだと思うのですよ。
でも当時の俺からすれば、正に「合わせる顔がない」ってやつで・・・。
それと独身で一人孤独に投票所に来ている俺に対し、孫と仲よさそうに歩いている父親を見て、
そういう部分にも肩身の狭さのようなものを感じました、一瞬で。

例えるなら、着る服がなく全裸で歩くしかない俺と、普通に服を着ている父親や孫と遭遇して挨拶をするような恥ずかしさと言えば分かってもらえるでしょうか。
こっちは手で股間を隠しながら対応するしかないというか。
冗談みたいに聞こえるかもしれませんが、マジでそれぐらいのことをイメージさせる出来事でした。

で、この出来事の衝撃が強すぎたことがきっかけで、期日前投票に行くことにしたのですよね。
その結果、よっぽどのことでもなければ近所の人にそこで遭遇することもないから、手間や時間はかかるけども「こっちの方が(精神的)に安全だ」となり、それ以降は区役所に行き投票していました。

と、そんな感じで期日前投票を徹底していたのですが・・・。
この前も書きましたが、今回は予定が詰まっていたので選挙当日の投票にしたわけです。
んで、投票所に向かうとき、歩いていてふと頭をよぎったのは、
「もうご近所さんも亡くなっていっているからなぁ」
ということでした。
自分の父も7年前には亡くなっていて、数年前には近所の小学校時代の同級生の母親も亡くなったりと・・・。
よくよく考えてみるとけっこうそういう事があって、もう以前とは違って顔見知りが減っていっているのだなと気づきました
これが分かるとご近所の人に会う恐怖がだいぶ減りました。

でまぁ、今はマスクをしていても不自然ではありません(笑。
そして若い頃とは変わり果てた姿ですから、それが厚いダウンを着てマスクをして歩いていても誰にも気づかれないはず。
近所の人とも普段から交流がありませんから、仮に歩いている途中で遭遇してもお互いに挨拶せずにすれ違うような感じ。
なので昔のように怯える必要もなくなったのかなと。
俺が気づかなかっただけで、15~10年経つうちに周囲の環境は変わっていたということですね。

それと15年前の30代半ばのころと、来年には50代になる今とでは気持ちもすっかり変化しました。
昔は人並みのプライドを持ち自立できていない事を恥に感じていましたが、いまはそういう感情も薄れました。
普通の人ができるような親孝行ができなかった事、親に養ってもらっている事、その他数えきれないほどの事に対しての申し訳なさはいまだにあります。
これはこの先も抱え続けるでしょう。

でもまぁ、ここまで来たら我が家にある使えるものは使っていきます。
親に寄生して生きているのは一人の男としては情けない限りです。
そこは間違いありません。

しかしそこにこだわり自分を許さず死ぬ覚悟なんてありません。
そして他に助けてくれる人もいないからそんなこと言っていられません。
なので今後も感謝しながら親に頼って生きていきます。
ネット上では「よく見せよう」と簡単にウソをつくことも可能ですが、それをやったら俺がブログをやっていく意味はなくなるので事実を書き続けます。
そんな生き様を見た人がどう思うかはお任せします。

ちなみに上記で「無残」という漢字を使いましたが、この漢字で調べたら「むざん」には
【無残・無惨・無慙】があり、無慙は仏教で「罪を犯しながら心に恥じないこと」という意味だそうです。
これは正に今の俺に近いのかもしれません。
「命長ければ恥多し」というブログですが、もう恥ずかしいことをやっていてもそれを感じる力もないと
いうところでしょうか(苦笑。

15年前は一応「人間」でしたが、15年経ったいまは「老害」に。
罪を重ねながら歳を取るごとにこんな感じになってしまいました。
でもまだまだ生きていきます(笑。

 

 

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