告別式が終わった後は、組まれているスケジュールに従ってやっていくだけ。
通夜や告別式では己の不甲斐なさをひたすら感じていましたが、このころには流れに任せてやっていくしかなかったので、この後は淡々と時間は過ぎていきました。
父に最後のお別れをした後、遺体を火葬場へ。
自分と母は霊柩車へ。
親戚全員はマイクロバスに乗り込み、仙台市葛岡斎場へ向かいました。
と、その道中。
父の葬式を通して感じていた「ある事」を考えていました。
それは「祭司奏上や玉串奉奠を何回も繰り返すのは時間の無駄なんじゃ・・・」ということ。
あ、誤解のないように言っておきますが、こういう儀式というか形式ようなものを否定するつもりではありません。
故人を見送るためには必要なことだと思います。
ただ・・・、父の葬式の事が終わった後に、入院中の弟の元に駆けつけなくてはいけない自分や母にとっては、通夜や告別式でこれらのことを繰り返して時間をとられるのが、なんともキツかったのです。
実際この後、葬式が終わってからめちゃくちゃバタバタしました。
年寄りたちが遠方から集まっているから、まったく余裕がないのです。
夜道の運転なんかさせてなんかあったら怖いですしね。
ということで、正直自分としては、「もっと簡略化してもいいものなんじゃないかな」と。
で、このことについては、葬式が終わった後にちょこちょこっと母と話す機会があって・・・。
すると母から、「だから今は葬式ではなく『お別れ会』のようなものがある」と聞かされました。
神主さんを呼んで盛大にやるのではなく、そんなに堅苦しくない感じでお別れ会をするとのこと。
ちょうど自分が父の葬式でそういうことを感じたこともあってか、この話には納得してしまいましたし、今後はこれが主流になると思いました。
故人を思う気持ちさえあれば、こういうのでも許されるのではないかと。
また神主さんを呼んで葬式を行う場合は、時間がかかることもありますが費用的な問題も出てきます。
うちの父の場合はありませんでしたが、例えば戒名料とか。
これも立派な神社というか宗派になると、100万円ぐらいはかかるみたいで・・・。
普通に考えればとんでもない額なのに、「故人のために・・・」や「みなさん、そうされていますから」言われてしまえば払ってしまう人がいる戒名料。
まぁ、自分のような非正規労働者には到底払えるようなものじゃないだけに、うちは戒名をもらわない家でよかったと思いました(笑。
だから今後は、神社とか神主さんたちも生き残るのがかなり大変でしょうね。
世間の流れが葬式ではなくお別れ会になったら、大幅な収入源。
でも、今後はそうなっていかざえるをえない状況だと思います。
不景気ゆえ、故人のために何百万も使えるのは余裕のある裕福なごく一部の家だけになるかと。
あとは基本、家族葬で何とか残された人にお金を残すことを選ぶ人が増えるんじゃないでしょうか。
と、そんなことも父の葬式がなければ、今まで考えた事も無かった自分。
改めて勉強になりましたし、「母のときはどうするか」なんてことを最近よく考えます。
不出来な息子とはいえ、最低限のことはやってあげたいとは思っていますが。
次回につづく
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