収骨をして人の人生の儚さを知る

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 斎場の担当者の案内に従い収骨室へ。
が・・・ここでいざ収骨を始めようとなったとき、人数を数えてみると1人足りません。
全員が集まってからでないと始められない収骨。
担当者が「あれ?どなたかまだいらっしゃってませんね」なんて言いながら再び人数を数えたり、自分たちも誰が来てないのかキョロキョロしながら周りを見ていたりしていると・・・親戚の叔父さんが遅れてやってきました。
なんでもトイレに行っていたとのことなんですが・・・。
待合室にいたとき、担当者から「必ず収骨室に移動する前にトイレに行っておいてください」などの説明があり、その時間もたっぷりあったのに、いざ移動のときにトイレに行ってしまう叔父さん。
悪気はまったくないとはいえ、こういう行動を見ていると、改めて親戚の皆さんの「年寄り化」を感じずにはいられませんでした。
人の話をまったく聞かない子供に近いものがあるのです。
まぁ年齢によるものなので仕方ないのでしょうが。

 と、そんなことがありつつも、全員が集まり収骨が開始。
すっかり焼かれて骨だけになった父をみて、これまでの人生に味わったことのないような感情がこみ上げてきました。
なんというか・・・。
数日前までは父として存在していたのに、それが動かなくなり、そして肉体も消えて骨だけとなる。
悲しいとかではなく、何とも不思議な気持ちにさせられると共に、「人が死ぬってこういうことなのか・・・」なんてことも考えました。

 

 親戚が一通り収骨すると、後は収骨室の担当者の方が、「それではよろしいですか」と確認を取り骨を細かくする作業を開始。
父の骨は頑丈というかガッシリしているようで、「この年代にしては筋肉質な方だったみたいですね~」なんて言いながら骨を手際よく細かくしていき、骨つぼにきれいに収めてくれました。
このときも、あの父が小さな骨つぼにきれいに収まった現実に、本当に言葉では表せないような感情を味わいました。
肉親の死が初めてだった自分にとっては、とにかくすごく不思議な感覚でした。

次回につづく

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