通夜で感じた大きな無力感

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様々に入り混じった感情を抱えながら、通夜がスタートしたのですが・・・。
通夜のときに自分が感じたのは、「両親への申し訳なさ」でした。

 

 

というのも、神主さんを呼んで通夜や告別式を行ったのですが、その際に神主さんは祭司奏上(父の生まれから学歴・職歴・家族構成・趣味などを家族から聞いて、それを元煮内容を考えて読み上げるもの)
のために母にこんなことを聞いていました。
「お孫さんはいるんですか?」
これを母のそばで一緒に聞いたとき、一瞬時間が止まったように思いました。
こんな自分ですが孫の顔を見せてあげられるなら、そりゃ父や母には見せてあげたかったですから・・・。
何というか己の不甲斐なさゆえに、こういうときに「孫はいません」としか答えるしかない母の姿に、かなりの申し訳なさがありました。

そして次にこの手の肩身の狭さを感じたのは、通夜振る舞いのとき。
父の趣味関係の知り合いの方が6人参加してくれて、自分と同じテーブルに。
このとき、自分の頭にこんなことがよぎりました。
「あ、息子の俺がみなさんに挨拶したり、料理を配ったりしないと・・・」と。
が、そう思った瞬間、頭にこんなことも瞬時によぎったのです。
「あ、でもそれをやったら、『息子さんは今は何をされているんですか?』なんて聞かれる恐れがあるぞ」と。

実は2年前のことですが、父との会話中にこんなことを言われたことがあります。
「同じ趣味でやっている仲間から、『息子さんは今なにをしてるんですか?』なんて聞かれて、こっちは肩身の狭い思いをしているんだ」
と。
正直、これにはかなりショックを受けました。
父の言い分が正しいとはいえ、そこらへんに対する申し訳なさは自分の心の中に常にありましたから。
だからあえてそれを言われたのはマジできつかったのですが・・・。
この通夜振る舞いのとき、改めて父の立場が辛かったことを身をもって知りました。
確かにフリーターの息子では、こういう場ではあまりに無力だし、仲間の人たちも気軽にこっちに話を振れないのですよね。
家族にとって触れられたくない部分に触れてしまったら、後は重い沈黙が場を支配するだけになってしまうだけになりますから・・・。

と、そんなわけで、この場は気配を消すことに努めて過ごしました。
長男のくせに何とも情けなく恥ずべき事でしたが・・・自分にはそれしか出来ませんでした。
父が亡くなってからの数日間、目まぐるしい展開が続き、このころにはすっかり疲れ切っていたというのもあります。
そういう会話に力を割く余裕は自分にはありませんでした。
で、そんな自分をよそに知り合いの方たちと会話してくれたのは父の弟である叔父さんや、親戚の方。
うまい感じで酒を勧めたりしながら、生前の父のことを懐かしく語り合ってくれました。
そんな光景をみて、また改めて、「本来ならこれを俺がやらなきゃいけないんだよな」と己の力の無さを感じた通夜。

この後はほどほどの時間で知り合いの方々も気を遣って切り上げてくれ、通夜振る舞いが終了。
母と数人の親戚はそのままセレモニーホールの遺族控え室に泊まるということで、自分は一旦家に帰り、余った通夜振る舞いの料理を食べながら酒を飲んだ後は早々に眠りにつきました。
家で1人で過ごすことはこれまで何度もありましたが、父が亡くなった後はまた寂しさが家中に漂うというか、なんともしんみりした中で一晩過ごしました。

次回につづく

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