今の時代の不登校の子どもたちを見て思ったこと

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きのう、録画していた「セルフドキュメンタリー“不登校がやってきた2”」を見ました。

これを見ようと思ったのは1回目の「セルフドキュメンタリー“不登校がやってきた”」がとても面白かったから。
最初は録画したものの、いざ見ようとしたオープニングで、NHKのテレビディレクターが自分ちの息子の話をするみたいなものと知りました。
そのため、正直あまり面白そうじゃなかったので見るのをやめてそのまま消そうと思ったのですが…。

「とりあえず少し見てつまらなかったら消そう」と思い見てみると、そういう単純な話ではなく、今までにない目線で不登校を扱っていて抜群に面白かったのです。
子どもが3人いるうちの2人が不登校になっていると知り、けっこうな衝撃を受けました。
俺のような人間からしたら、
「NHKのディレクターになれるような人間で、結婚して家庭を持って一軒家で暮らしていても、そんな風になることもあるんだ」
と。

傍から見ている限りでは間違いなく幸せに見えるはずなのに、家庭内ではそういう事が起きている。
やはり子育てっていうのは一筋縄ではいかないものだと思いましたし、そんなわが子たちとの体験談ということもあって非常に説得力もありました。
というか、自分ちのことを撮っているから「セルフドキュメンタリー」なんですね。
この記事を書いているときに気づきました(苦笑。
いつも気づくのが遅くてすいません。

で、ですね。
今回は、その実際に学校に行けていないよその家の子どもたちにも話を聞くというテーマでした。
大人ではなく、当事者である子供たちに学校に行けなくなった理由を聞く。
モザイクなしで出ている子たちも多くリアルな本音が聞け、いろいろと考えさせられました。

で、俺がまず気になったのは、不登校になった原因に関する調査について。
以前は

1. 無気力・不安
2. 生活のリズムの乱れ
3. 友人関係(いじめを除く)

が上位だったそうなんですが、実はこれ、学校や教育委員会が回答したものなんだそうで。
で、2020年になったら今度は“不登校の子供・家族”が回答したそうなのですが、その結果がこれ。

1.先生のこと
2.身体の不調
3.生活のリズムの乱れ

これを見た瞬間、思わず唸ってしまいました。
「ああ~そう言われたらそうだ」
と。
要は子どもたちの世界でも「人間関係が原因」はあるわけで。
大人の世界だけの話ではなく、人が人と付き合っていく以上避けられない問題。
俺も以前バイトをやめた理由は、ある社員との確執が原因でした(苦笑。

というか、皆さまの中にも分かって頂けると思うのですが、おかしな先生や合わない先生っていましたよね。
歳をとると更によく分かる、”あいつはマジでおかしかった”と思える奴が。
ガチでクレイジーな先生がいたことを思い出し、
「確かに先生が理由で行けなくなるのあるよね」
と納得してしまいました。
誰にでも起こりえる理由というか。

それと、不幸の子どもや家族が回答をしたら、上位に教育委員会のときにはなかった「いじめやいやがらせ」も理由としてあったそうです。
なんか闇を感じますね(笑
もういかにも・・・といった感じで。

と、そんなことを考えさせらつつ、当事者である子どもたちが学校に行きづらくなったきっかけなどの話を聞きました。
そのほとんどが、まぁ今の時代なら「うんうん、そういうこともあるよね。分かるよ」という感じ。
「他人が怖い」とか『好きなやり方をやらせてもらえない」等。
昔だったら
「なにバカなこと言ってんだ。学校へいけ!」
で受け入れてもらえなかったような理由でも、今は極端な話、「自分がイヤだと思ったらイヤ」でも受け入れてもらえるように感じました。

それと今の子達は、やはり今後の生きる道の一つとして、当たり前のようにネットを使って稼ぐという考えがある模様。
そしてそういう子の将来の展望について聞いていくと、あることに気づきました。
それは俺も同じようなことを考えているなと(苦笑。

ほら、以前に「配信やろうかな」とか言っていたじゃないですか(*停滞したままですいません)。
それとまったく一緒で、改めて自分が現代の小学生レベルと同じことしか考えられないおっさんなのだと気づいてしまいました。
まぁ未来のある彼らと違って、俺の場合は「もうそれしかない」という感じなのですが・・・。
自分もそういう立場でありながら、子どもたちの話を聞いていると、よほどの実力でもない限りはこういう子たちは苦労するのだろうなと感じました。
数年後、ネットで食っていこうとしても、実際にやってみてそこで壁にぶち当たりまくって現実を知るというか。
家の中にいて自分だけの世界で生きていると、人間どんどん気が大きくなっていきますからね。
経験者の俺には分かります(苦笑。

と、これらの話を聞いて俺が思ったことは、まぁ合わないなら、これからは学校以外の選択肢を選ぶこともいいように思いました。
昔は例えるなら、全員が犬という世界で、そこにネコやウサギがいたとしても「犬として生きろ」という感じだったと思うのですよ。
生態は違うけど、「そうしなさい」という雰囲気。
個々が覚える違和感は無視するというか。
ただ、これはこれで仕方なかったと思うのですよ。
学校という組織でやっていくことや、昔は今ほど発達障害などに対しての理解もなかったので。

でも今は世間で発達障害などに対しての理解もされるようになってきましたし、個性も認められるようになってきました。
だから学校に行ってみて“合わない”となるなら、学校以外のところで学ぶのもありだと思います。
その結果、今後の人生で何があろうと受け入れることが出来るなら、俺は構わないと思います。

ま、ここまでで長々と書いてきましたが、結局のところ俺は学校へ行っていたのにこんな感じになってしまったわけで。
説得力なんか何一つありはしないなと(苦笑。

でも一つだけ言えることがあります。
それは学校に行っていなかったら、もっとおかしな人間になっていたということ。
これは間違いないです。
学校に行かず20歳ぐらい生きていたら、もっととんでもない奴になっていたでしょうね。
それが確信出来ているほど、やはり学校の中で学ぶことは多かったです。
楽しいことや良いこともあれば、その数倍もクソみたいな事や理不尽なことありましたが、今考えれば「まぁそれが人生」というやつなんでしょうね。
だから学校は学校で、人によって必要なものだと思います。

それと、現在不登校だなんだにしても、後は大きくなってどういう結果を残すのかだと思います。
不登校でも後に東大とか行けば、誰も文句は言わないでしょうし。
とりあえず後になってみないと、本当に分からないものだと思います、人生というものは。
だから今が不登校だからといって、とことん絶望することもないと思います。

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