不思議な力を感じた

前回の続きです。

母がたまたまバッグに入れていた葬儀社のチラシを見て、その葬儀社に電話。
すぐに繋がったのですが、突然のことすぎて母も事態をあまり飲み込めていないため、「遺体をいつ移動するか?」 「そちらで清拭もやってくれるか?」等の相手とのやり取りはなかなか難航しました。
葬儀社も24時間対応とはいえ、早朝ということもあるからなかなか話が進まないといいますか。
でも、幸いなことにこの日葬儀社には予定が入っておらず、そのまま父の葬儀を受け付けてくれることに。
9時30分、病院に遺体を引き取りにきてくれることになり、ひとまず安堵しました。

 

 

ちなみにこの葬儀社のチラシを持っていた理由ですが、母いわく本当に何となくだったとのこと(笑。
しかし、数年前・・・。
同じ町内に住む同年代の方が亡くなったとき、いつもなら母のみが通夜に参加するのですが、このときはなぜか父も「俺も行く」といってこの葬儀社(セレモニーホール)に行ったそうです。
そしてそのとき、そのセレモニーホールを見て、「家から近いから自分(父)の葬式をやるなら、ここがいいなぁ」なんてことを言っていたそうで・・・。
でもこのときの父は、自分がガンであることはまったく知らない状態。
まだまだ父本人は長生きするつもりでいたようです。
それなのにある日たまたま母とそんなやり取りがあった聞き、なにか不思議な力のようなものを感じました。
このとき母がチラシを持っていなかったら、病院と提携している葬儀社に依頼するか、自分たちで急いで探す必要があったため、かなり大変なことになっていたかと思います。

この後。
お医者さんに瞳孔の反応などを見てもらって亡くなっていることを確認してもらい、死亡宣告を受けました。
その後は看護師さんが熱いタオルを数枚持ってきてくれたので、とりあえず母と自分が体を拭き、そして後々のためにオムツをしておくことに。
こうしとかないと後で便が漏れてしまうこともあるようです。

と、これらの作業をしつつ動かなくなった父を見ていたわけですが、やはりどうしても現実感のようなものはありませんでした。
で、このあたりから感じ始めたのは、看護師さんたちはあくまでも「仕事でやっている」ということ。
あ、これは決して悪い意味で言っているのでありません。
ただ、要は俺のような一般人とは、こういう場面に遭遇する回数がまるで違うといいますか。
このことについては次回に書こうと思います。

次回につづく

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