親を失った悲しみは深い

野村克也を失った息子・克則の告白「今でも泣いて目が覚める」

俺も父を亡くす前にこのニュースを見たとしたら、
「おいおい、1年も経って泣くことはねえだろ」
と思っていたと思いますが・・・。
父を亡くした今となっては、この「今でも泣いて目が覚める」という感情がよく分かります。
生前の関係性にも寄るのでしょうが、よほど険悪な関係でもなければ、肉親を亡くした後というのはしばらく経っても引きずるものなのです。

俺がこの事に気付かされたのは、バイトをしていたとき。
亡くなってから3ヶ月とか経ったぐらいでも、ちょっとした作業の合間に父のことを思い出したりすると、涙がこぼれたりするのです。
これには自分でもビックリしましたね。
「こんなにも悲しいものなのか」と。
過去に職場の先輩が親を亡くしたとき、「3日間ぐらい号泣していた」という話を聞いた時は大げさに思っていましたが、今ならその気持ちも分かります。
だから「肉親を亡くす」というのは、悲しさの中でも最上級というか、比べるものがないほどの悲しさだと感じています。

まぁさすがに2年半も経てば、その悲しみも和らいできます。
今は涙がこぼれるようなことはなくなりました。
でも、父のことはふとした瞬間にちょいちょい思い出しますね。
保育園~小学生時代にあった父との出来事なども思い出しますし、よく思うのは父に対して「申し訳なかった」という気持ち。
後悔の念はかなり大きいです。
「もっとしっかりしていれば、父ももっと楽しい余生を送れた」とか「仙台に帰ってきてからの数年、もっと父と何かしら話したりするべきだったなぁ」と。
今となっては全てが遅く、どうすることも出来ないからこそ、これらの事を考えてはしんみりとした気持ちにさせられるという・・・。

だからまぁ、現在親が生きている人は、後悔しないよう付き合い方をしてほしいなと思うのですが・・・。
残念ながら生きているうちはそのことに気づけないのがほとんどだと思います。
普段からしっかり親孝行している人なら別でしょうが、そうでない限りは「まぁそのうち・・・」と思って日々が過ぎていきます。
そしていざ亡くなった後に、「もっと一緒に過ごせばよかった」とか後悔するわけです。
克則さんもそういう後悔をしているのを見ると、「亡くなった後でしか気づけないこと」というのが真実ながらも、なんとも残酷な事だと思います。

というわけで、父に比べれば俺は母に対して今できることはなるべくやってあげたいと思っています。
まぁ昼食や夕食を作ったり、ちょっとした頼まれ事をやるぐらいしか出来ませんが・・・。
ただ、そんな思いも面倒くさくなったりして日々に流れることも多々。
このニュースを読んで、それこそ母もいつ亡くなるのか分からないのだから、もう少し意識して母に接していこうと思いました。

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