“親ガチャ”って言葉を聞くと悲しくなる

今年は「親ガチャ」なる言葉が流行りましたが、それを聞いたときは何だか切ない気持ちにさせられましたね。
確かに親を選ぶことは出来ないけど、それを言っちゃあ・・・と思うから。
というか、親がいるから自分が存在することを思うと、やはりもの凄く悲しい言葉だなぁと。

とはいえ、親に対してそういう恨みを持つ人間がいることも分かります。
30歳ぐらいのころ、知り合った方と話していたら
「親に大学に行くお金を出してもらえなかった」
ということを聞いたとき、俺は“あ、そういう家庭も実在するんだ”と驚いたのですよ。

これはその家庭を見下しているわけではありません。
というのも、俺の友人たちは全員、親に金を出してもらって大学に行っていたから。
“奨学金をもらっていた”なんて話を聞いたことがなかったのです。
だから恥ずかしながら“それが当たり前”と思っていたのですよ。
もし俺も大学に行くことを選択すれば、間違いなく親は出してくれましたから。
でも、勉強が嫌いな俺は目先の遊びに溺れ、進学を選びませんでした。
そういう愚かな選択をした結果が積み重なって、今のような人生になっております(苦笑。

んで、話を戻しますと、その方はけっこうな親に対する恨み節のようなものを言っていて・・・。
そういう事情でチャンスを潰された人間というのは、なかなか根深いものがあるんだなぁとそのときに知りました。

それと今年に入ってTwitterである方々の「奨学金を返済したよ!」とツイートを見たのですが・・・。
そのうちの一人は元アナウンサーの若い女性だったので、すごくビックリしました。
相当な額の奨学金を返したことも凄いのですが、こういう女性でも親が学費を払ってくれないようなことがあるのだと知って。
ほら、アナウンサーになるような女性の家庭って、どちらかというと裕福なイメージがないですか?
俺の勝手な思い込みと言われればそれまでなんですが、周りを見ても親が学費を払ってくれるのが当たり前の環境にいたので、かなり驚かされましたね。

と、そんなわけで、今は親が学費を出して大学に行けるのが当たり前とは思っていません。
そういう事が可能な家庭というのはラッキーで、親に感謝しなければいけないことなのだと分かりました。
なので、家庭の事情で大学に行けなかったり、その他諸々の不遇な環境で親に不満を持つ人が“親ガチャ”という言葉を言いたくなる気持ちは分からないでもありません。

しかしですね・・・。
やはりこの手のことを言い出したら、もうキリがないように思うのですよね。
だからそこら辺の運・不運を語るよりも、いまある手持ちのカードで戦っていくしかないんじゃないかなと。
こういうことを書くと、「恵まれた環境にいたお前におれらの辛さは分からない」と思う人もたくさんいるでしょうが・・・。
ただまぁ、もうこればかりは絶対に変えようのないこと。
“親ガチャに失敗した!”なんて悲しいことを言わず、それを受け入れるしかないのだと思います。

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