年賀状で気づかされる時の流れ

ありがたいことに今年も友人から届いた年賀状。
付き合いもほぼ断絶しているような感じなのに、こうやって送ってもらえるのはありがたいことです。
とはいえ、もうそろそろマジで送ってもらえなくなることも想定しておかねばならないでしょうね。
そういうのを期待しているとそういう事が起きたときに想像以上に凹みますから。
こんな俺に送ってくれるのは友人の善意として捉えておき、それがなくなっても恨むようなことだけは避けたいものです(笑。

友人からのメッセージに仕事で転勤してから「10年経った」との一言がありました。
それを見て「ああ、言われてみれば確かに」と気づく俺。
俺のような生活を送っている人間はこういう年月の感覚がありません。
普段からそこら辺にアンテナを張って生きていない事の証明ですね(苦笑。

友人に会ったのは転勤前に飲み会をしたときなので、丸10年は会っていないことになります。
この事実を考えると、やはり一抹の寂しさはあります。
俺にもまだ人の心は残っているようです(笑。

ただ、会ったとしても残念ながら会話も成立しないようなレベルです。
これは俺が仕事をしていないからなのですが・・・。
まぁ価値観も何もかもまるで違うわけです。
会ったところで会話も噛み合わないでしょうし、このまま更に10年20年と会わない方が心穏やかに過ごせるような気がします。

ま、友人たちの中ではおそらく持病持ちの俺がもっとも早く死ぬでしょう。
事故とかそういうのがない限りは。
ただ、万が一にそういうアクシデントが起きて友人が亡くなった場合、そのときは葬式には出ようと思います。
人前に出られるような存在でないにしろ、そういう部分だけはきちんとやり遂げたいのです。

しかし・・・。
先ほどこの事について考えてみたら、もしかしたらそれも難しくなるかもしれません。
というのも、母が現在の状態のままならいいですが、これがボケたりしたら・・・。
1日2日でも家を空けるっていうのが難しくなります。
「そんぐらいの時間は取れるべ?」と思う方もいるかもしれませんが、
俺のように親戚付き合いもないとなると、結局なにかあった場合は全て自分でやるしかありません。
母の面倒、弟の面倒。
頼める人、他にやれる人間はいないから、とにかく俺がやるしかないのです。
そうなったら、葬式とかあっても行けないですね。
ま、俺が必要とされていることもないから、それはそれでまったく支障はないのですが。

時の流れと共に若い頃には想像もしていなかった出来事が発生していく。
もういつ誰がどうなってもおかしくない年代に突入し、今後もその傾向は強まる一方だと思うと、こうして普通に過ごせるだけでもありがたいものだなぁと思います。

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