忘れられない父の表情

秋田で正社員として働いていたものの、様々な事情により仙台に帰らざるを得なくなった俺。
それから4年間ほど貯金を食い潰しつつ、親に支援をしてもらう形でニートとして生活を送っていました。
今となってはこの時期にやっていたことはうっすらとしか思い出せません。
大半は家でのゲーム。
後は蔵王、白石、七ヶ宿方面にドライブに行き、自然を見たりして何とか心を癒やしていたような記憶があります。
生活の心配をすることもなく、めちゃめちゃ好き勝手出来る時間があったのに、それを活かさなかったのはとことん愚かです。
バカの極みですね。

と、そんな生活を送っていたものの、さすがに4年目の終わりに父や母から呼び出されて今後のことについての話が出ました。
これについてはその頃にも書いたことがあるのですが、父や母からの要望は
「とりあえずバイトでもいいからしろ」
でした。
今さら正社員うんぬんは求めん、派遣でフルタイムで働けともいわん。
が、身体が動くのであれば少ない日数、短時間でもいいからバイトをしろと。
これには当時、ブログに多くの賛同の拍手が寄せられました。
「働けるなら働いた方がいい」って皆さん普段から思っていたと。

しかしこのとき。
4年以上働いていない上に、前職の苦い経験が脳の奥底にまで染みついている状態。
仕事に対する恐怖で「バイトも難しい」と思ったので、ここから1年「ネットで稼ぐ」ことを条件に親から猶予をもらいました。
1年後に収入を報告してバイトをするかどうか決めると。
めちゃくちゃ甘い判断と思う方もいるでしょうが、親から見ても当時の俺はまともな状態ではなかったのだと思います。
言ってはみたものの「すぐに働くのは難しい」と分かっていたのでしょうね。
で、それは事実で、俺もいきなりそのタイミングでのバイトは出来なかったです。
最近、退職したころの事を思い返すと、精神的に相当おかしくなっていたと改めて感じています。

それから1年後。
以前にも書きましたが、結局ネットでの収入は微々たるもので「話にならん」と父から一刀両断されました。
で、バイトをすることになったのですが、そのときに今後の事についての話に。
父が、「お前は生活をするのにいくら必要だと思っているんだ」と聞かれました。
んで、そのときに俺が答えたのが「6万円」
実家暮らしならそれぐらいでいけるだろうと。

そうしたらですねぇ・・・。
このときの父はそれを聞いて心底呆れた顔をしました。
「うわぁ・・・」って感じの顔を。

で、その後はコンコンと説明されました。
普段の食費以外にも水道代、電気代、ガス代、通信費。
それ以外にも家を維持するには諸々の税金がかかるのだから、そんな額で暮らせるわけないだろと。
俺の場合、一人暮らしの経験があるわけですからそこを分かっていなければいけないのですが、このときは先に述べたようにまともな精神状態ではありません。
というか、家賃が必要ない実家暮らしだから、そこに意識がいってしまって、
「とにかくなにかあっても実家なら6万円で暮らせる」
って思い込んでいたのです。
父も息子がこんなにバカだとは思っていなかったから呆れてしまったのでしょう。
「バカなのは分かっていたが、ここまでバカだったとは」って感じで(苦笑。

 

 

と、そんなわけでいざ自分だけの力で生きていくとなると、俺が考えていたよりもかなりのお金がかかるもので、それを理解していなかったのはつくづくアホだったなぁと。
で、このことを思い返す度、このときの父の呆れた顔が浮かんできます。
思い出す顔がそんな表情であることが、いかに自分が愚かな息子であったかを思い知らされます。
もっとまともな息子ならそんな呆れた顔をすることもなかったでしょうから。
情けない限りで、つくづく申し訳なく思います。
もう挽回することも出来ませんから、罰としてこの想いを背負って生きていこうと思います。

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