必要だったのはお金や時間ではなく・・・

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高校時代に熱中していた格闘ゲーム。
特に一人の友人とよく遊んでいました。
日中はもちろんのこと、友人の親にバレないように深夜に忍びこんで対戦するなど。
これは友人の家の構造がちょっと特殊だったから出来たことなのですが・・・。
お互いにバイト代をつぎ込んでゲーム機本体やソフトを買いあさり、とにかく対戦。
二人でアホみたいにやっていました。

と、そんな友人との思い出。
歳を重ね40を超えたいまとなっては、本当にありがたい時間だったと思うことが増えました。
「あのときしか出来ないことだったんだなぁ」
と。
若い頃はそれに気が付きませんでしたが・・・。
で、そんな「ありがたい時間を過ごせた」ことについて、なんか自分の中ではうまく言い表せられない感情があったのですが、ある時こんなツイートを見てこれらのことに対する答えが出ました。
それは
「趣味に必要なのは、お金や時間よりも気の狂った同志」
元ネタのツイートを探しましたが見つかりませんでした。)

当時は時間も費やしましたし、ゲームにお金を相当つぎ込みました。
が、それよりも何もよりも、あの楽しい時間を過ごせたのは、本当に同じぐらいゲーム馬鹿というか、気の狂った友人がいたからなんだと、このツイートを見た時に気付かされました。

またこれにより改めて考えてみると、当時の状況というのは奇跡的なものだと分かりました。
ゲームの腕前は友人の方が上でしたが、それでも一緒に楽しめるレベルだったこと。
負けたり勝ったりを繰り返す、正に「ちょうどいい」感じでした。
実力差が有りすぎる場合、よほどの根性や執念がなければ、
「あ~つまんね、やめた」
となりますが、高校時代はそういうこともなく対戦を続けました。

まぁ、よくよく考えれば当たり前の話ですね。
対戦ゲームですから、相手がいなければ成り立たないという・・・。
でも当時はそれが当たり前で、それが「ずっと続く」とまでは思っていませんが、歳をとってもまた対戦をする機会があるなんて考えていましたが・・・。
そんな友人も大きな会社に勤め家庭を持ち、いまではすっかり疎遠に。
社会的な立場にあまりに差がつきすぎてしまったため、会って話したところで会話が噛み合いません。
だから今後、おそらく再び対戦をすることはないでしょう。

でも、別にそれが悲しいわけではないのです。
「あの頃に戻りたい」なんてことも思いません。
ただ、上記のツイートをいて、
「あの時間を過ごせたのは同じぐらい気の狂った友人がいたからなんだ」
と気づけたことで、なんかすごく自分の中でスッキリとしました。
友人のありがたみに気づけたというか。
だからまぁ、もしそういう「同志」とも言える友人が現在もいるような方は、そのことに感謝するべきだと思います。
本当に貴重なことですので。
俺はこの楽しかった思い出を、汚すことなく墓場まで持っていこうと思います(笑。

 

 

 

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